大坂の陣 最大ミステリー『幸村は家康を討っていた』

大坂の陣 最大ミステリー『幸村は家康を討っていた』 収録内容
大阪・堺市にある南宗寺に存在する無銘塔。
幕末の幕臣・山岡鉄舟の筆による碑文、「この無銘塔を家康の墓と認める」。
2代将軍秀忠、3代将軍家光が、相次いで南宗寺に参詣。

冬の陣、家康は真田勢の猛襲により窮地に陥り、本陣を捨てて逃げた。
逃げる途中、後藤又兵衛の槍で突きさされ絶命した家康

家康は2人いた。
同じ日に生まれた、正室の子と側室の子。
側室の子は今川の人質となり、後に家康として歴史に登場する。
正室の子は寺に隠され、後に僧侶「恵最」となる。
家康(側室の子)は冬の陣で討死。
夏の陣の家康は、正室の子・僧侶「恵最」。
家康すり替えを仕組んだ天海(=光秀)。
家康の出自を知る京都賀茂神社の僧侶を根絶やしにした天海。
大坂夏の陣の翌年、天海によって暗殺された家康(正室の子・恵最)。

幸村は冬の陣で家康が戦死したことを知らなかった
幸村は2人の家康を死の淵まで追い詰めた。
夏の陣、幸村は秀頼とともに、大坂城を脱出、海路薩摩へ逃れた。
幸村と秀頼の生脱説が記されている、英国・東インド会社平戸商館長の日記。
当時の東インド会社の情報網は、
現在のCIA、NSAレベルで非常に正確であった。
後に倒幕側となる薩摩。
真田vs徳川の戦いは終わっていなかった。
幸村と秀頼を、あえて見逃した天海の思惑。

収録時間:65分06秒
収録日:2016年11月16日(金)